Twitterでキャッチコピーを募集している企画をときより見かけますが、ちょっと苦手だなと思って距離を置いていました。
なぜ苦手か?
クライアントが開発した商品には、膨大な時間と膨大なコスト、たくさんの思考が積み重なっていると思うのです。
それに対して、あまりにも適当な投稿をしているように見える。それこそが苦手の原因だった。
大喜利の感覚はないのだけれども、大喜利に見えてしまう。
その状況によって、商品だけでなくブランディングまで影響を及ぼしているように感じる。
Twitterの世界は狭くて広い。
ブーメラン
それは自分に対しての戒めでもあった。
適当に考えていないか?思考が浅いのではなく?もとより商品に対して愛はあるのか?
調べる、アイディア出しする、言葉を削る、検討する、提案する、修正するという作業において、目標や愛があるのか・・・・・?
自分に対しての戒めだった。
技術や発想力ではなく愛が足りていないのだ。