10年前くらいに「クリエイティブ」や「クリエイター」という言葉のファッション性がなんとなく気持ちが悪く感じていた時期がありました。
なんとなくの正体は、他人からの目でした。
合コンで「広告代理店勤務」と言っただけで「かっこいい!」となるような他人の目です。
(広告代理店で勤務しているだけで、別にクリエイターだとは言っていないにも関わらず)
神がかりな創造がクリエイティブ
ではない。糸井重里さんに言わせると「クリエイティブとは小さな工夫である」だそうだ。
それを聞いたときに頭をよぎったのは「コンビニにお湯を置いた」という話。これも糸井さんだったと思う。
コンビニにあるカップラーメンの売り上げをあげよ!
もしもそんな課題があったとする。
・カップラーメンのチラシを作って配る
・売り場を変える/売り場面積を大きくする
・POPを作って美味しさなどを訴求する
ほかにもいろいろな方法があるでしょう。そして、もしかしたらどれも売り上げがあがるかもしれません。
でもそこで、「コンビニにお湯を置きましょう」と提案すればどうでしょう?
その場で食べれるという新しいニーズが生まれる。
持って帰って食べる以外のニーズが増えて、売れる分母が増える。
さらに「ラーメンが美味しくなるお湯」だったらさらに売れるかもしれない。
工夫。しかもちょっとした工夫がクリエイティブなのですね。
このちょっとした工夫が難しい!
今となればごくごく当たり前になった「コンビニのお湯」も実はものすごくちょっとした工夫ですよね。
要素の因数分解、観察、物事の捉え方。そしてちょっとした工夫。クリエイティブな思考というものを常に忘れないでいたいですね。